仮校舎JAPAN

自分の面白いと思ったことを書くよ

うんこは出せるときにしておけ

年を重ねるごとに思うことがある。

「ん?おしっこは割とどうにかなるけどウンチはどうしようもならないな」

 

このように思う私は決してここ最近でうんこを漏らしたとかいう超人伝説的なことはしていない。しかしながら電車に乗りながらうんこしたくなったけどその車両にトイレがついてなくて違う車両に行く必要があったんだけどうんこのために歩くのは恥ずかしいという小さな理由でそこから30分ずっと我慢していたり、自転車に乗っている途中にうんこした過ぎて公園に駆け込んであと一秒遅れていたら僕のパンツと僕のうんこがフュージョンするところだったりとアフガン帰りの米兵のように自分もうんこ事情においては非常に厳しい環境を生き残ってきており他の面々に比べればうんこを我慢するアクティビティには知識がある方である。そんな僕が言うのだ

うんこは我慢するな!!

うんこを我慢している時に頭の中にあるのは片思いしている好きな子でもなければ、うざい上司のことでもなく、あっ隣の人の香水ちょっときついかもとかのようなことでもない。うんこだ。うんこを我慢することのみに意識が集中する。

 

(誠に勝手ながら以降「うんこ」は「乙」と表記させていただきます。パソコンの予測変換でUを押すとうんこ系統の言葉しか並んでおらず、さすがに成人男性のパソコンとしてどうなのかと思い始めました。すいませんご理解お願いします)

 

乙を我慢することは頭の中を乙いっぱいにすることでありそれすなわち自分の貴重な妄想・・思考時間を乙だけに捧げてしまうという非常に無駄なことをしてしまっているのだ。これまでは乙についての内面的なデメリットを上げていたが以降からは乙を我慢することで生じる身体的問題を話していきたいと思う。

 

乙を我慢することはできない。

乙は正直大人になればなるほど我慢できなくなってくる。経験則から言うに高校生の時に比べ成人すると肛門周辺の筋肉は範馬裕次郎レベルから夜叉猿レベルにまで落ち込んでしまう。永遠の14歳だとか20歳ですとサバ読んでいる奴らは自分自身の肛門の年齢を測ることが出来ず乙を漏らしたことがあると推測できる。そう乙は我慢できるものではない乙は知らされずにいきなり来る地震のようなものであり避けることが出来ないのだ。

 

じゃあ乙を我慢できない僕らはどうすればいいのか

乙が我慢できないのは何も君だけのことではない。全人類のいやすべての大人の問題である。しかしながら解決策はあるそれは「自分を過信することなくトイレにいく」これに尽きる。トイレは行けるときに行く必要がある。そしてそうやって何もできなくても便器は僕らを責めたりしない無言の時間もトイレの醍醐味の一つなのだ。